龍さまのお気持ち。

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当事者ペーパー精神保健福祉士

今、うつ状態です。7月から続いています。

仕事ですか?当然行けていません。

思えば2月から5~6月までは軽躁状態でした。

精神保健福祉士の国家試験に挑みテンションが高かったのが2月、合格して満を持して就活をした3~4月、就職したけど、とんでもない事業所で喧嘩退職した5月、勢いのまま資格とは関係ない仕事(と言っても福祉関係)で就職した6月。

怒涛のようだったけど、躁鬱のリバウンドはやはりきましたね。どんどん仕事にいけない鬱になってしまいました。今の仕事場はオープンにしているので、放置してくれてるけどもうそろそろ無理かな。

なんの為に資格取ったんだろう。

自分もケア出来ない精神保健福祉士とは片腹痛いですな。

浮上するきっかけがあれば良いのですが、生憎見つかりません。働くのも嫌、自宅警備も嫌、もう何がなんだかわかりません。

こんな時はアウトプットをすると良いと聞いていたので放置してるブログに現状を書いてみました。

↓最近読んで面白かった益田先生の本です。

 

ではまた、よろしくおねがいします。

当事者としての精神保健福祉士国家試験

タイトルの通り、自分は双極性障害Ⅱ型の精神保健福祉手帳2級の障害当事者です。

関東の地方で生まれ、家業は自営業で何不自由無く育てて頂き、高校・大学と私立に行かせてもらいました。

仕事では数回転職していますが、基本的にはエンジニアでした。正社員として最後に在籍していた企業では最後は管理職までさせてもらいました。

 

しかし、元々そうだったのかと思うような気分のジェットコースターみたいなものを感じ、仕事をしていました。明らかに仕事が絶好調と思えるときは、いわゆる軽躁状態であったりして、仕事の結果も昇進・社長賞を複数回経験しました。でも悲しいかな、1度上がると、急降下するこの障害は数回の休職クラスの鬱もやってきてしまします。

エンジニア時代は、自分の興味ある分野ということもあり頭がキレッキレだったと今も回想します。また管理職時代は課員のメンタルヘルス問題に悩ませれました。自分のメンタルヘルス問題もままならないのに、どうしたらいいんだとあれやこれやとエンジニア気質で調査研究し始めました。

そして要領がよい方法としてメンタルヘルスマネジメント検定の勉強をはじめました。

コーピングや認知行動療法の初歩的な知識を組織の中の実践で使用してみたいと考えたのです。部下との面談を何回も何回も行うとき、メンタルヘルスマネジメント検定で得た知識を使いました。ちなみにⅡ種のラインケア、Ⅲ種のセルフケアと組織と自分用を取得し実践しました。そうしていると案外、相性がよかったのか部内調整や雰囲気の改善、離職率の圧倒的削減の結果がでました。

でもセルフケアだけは全然無理でした。障害の状況は深刻になり、頻繁に休職→復帰→休職を繰り返すようになっていきました。

鬱で休職しているとき、自分の遍歴を振り返り今の組織の為にこの状況で迷惑はかけられない、この最近覚えた面談技術、かっこよく言えばカウンセラーのようなことを、もっと使えないだろうかと考えました。完全に自己満足で承認欲求の塊でです。

そこでツイッターでフォローしているかたが精神保健福祉士になられたことを知りました。なんかわからないですが、不適当ですが、「なんか格好いいな」と思ってしましました。

その後精神保健福祉士のことについて調べました。そして決めました。人生セカンドステージ、人生2毛作には、この資格をベースにしてみたいと。これは人を助ける、アドバイスする、支援するという自分が他人に喜ばれることをすることで、自己承認を満たし、自己満足することなんです。綺麗事で当事者を助けたいとかおこがましいです。

何度もいいますが、結局自分のためなんです。満たされないものを対人を使い、満たしたいと言う、超絶気味の悪い、根性の悪いことをするために、40代前半から勉強をはじめました。

なので、以前のブログにも書きましたが、受験に1度失敗しています。舐めてました。お灸を据えられ、障害があるなか、再受験するか根性が試されました。

結果、2021年、不合格が決まった瞬間(正確には試験終了直後)から、勉強法を見つめ直し「勉強」というものを真剣に生まれて初めて経験しました。申し訳ないですが大学受験より真剣にやりました。

 

 

 

 

結果:◎

燃え尽きた感もあり、合格してもめちゃくちゃ嬉しくもありません。

今後、対人支援の仕事、就労支援、障害者支援、放課後デイサービスあたりを中心に経験を積みながら活動できたらなと思っています。厚かましいですが、僕の人生の恩返しです。

まだ何も決まってませんが、生存報告がてらにブログを書かせて頂きました。

 

 

 

 

 

Windows11の盛り上がりのなさ

今週Microsoftの新しいOS、Windows11がリリースされました。

Tweetrを見てても、盛り上がりに欠けている気がします。

それよりもみんなiPhoneやらGalaxyZやらで盛り上がってるよね。

PCって本来便利なものでガジェットの中心にいたものだと思ってます。

でも今はスマホが肌身離せないツールになっていることは周知の事実ですよね。

PCのOSのメジャーアップデートなんてそうそうないことで、PC業界では起爆剤として期待されているだろうと思われます。

WIndows10が昔、最後のWIndowsなんて言ってけど、それもPCの大半がWin10になっちゃって、PC屋さんもWin7や8.1で売ったものを10でもサポートしなきゃいけなくて、業界としては実入りが少ない割に、コストが掛かるなんて状態になったんじゃないかなと思ってしまいます。

そこでMicrosoftも突き上げられる形で新しいOSを出して、新しいOSでPCを売る、アップデートできるWin10機はかなり高いスペックボーダーを設けて足切りをするってことではないでしょうか。

Microsoftも10ベースでUIをややこしくいじるようなOSを出して、出だしから早速微妙感が出ているしまつです。

それでもPCでやるほうが良いことってまだまだありますよね。お仕事でエクセルつかうのも、動画編集するのもPCの方が得意。これはいまのところ間違いない。

スマホも年々スペック上昇を続け、いまや頭打ちと言われているけど、やれることはゲームやSNSやちょっとした作業、コンテンツ視聴であるわけだけど、PCとスマホって1つになんないかなーってみんな思ってるいるけどならない。MicrosoftがPCのOS側からMobileにアプローチしたけど失敗している。ArmベースのWin機も普及しない。

どっちがこの壁をやぶるのか興味がありますね。価格もスマホ、PC入り乱れてるしね。

ちなみにタブレットも違う。

ChromeOSはウ~ン。

とにかく、PCは本当に業務機になったのは、ほぼ確定で、やはりAndroidChromeがPCのやれることをちょっとずつ食っていくのかなぁと思っています。

これはMacOSとiPadOSの関係にもにているかも知れないです。

 

ー乱文失礼ー

 

死にたいと思わないだけましか

僕は今、とても苦しい気分です。

課題難点がいくつもあり、気持ちは焦っていても、心身がついていかない状況です。

仕事にもスケジュール通りに行けていません。

試験勉強も捗っていません。

家族もなかなか障害を理解してくれません。甘く見られています。そして何時突き放されるかの恐怖も感じます。

将来なにをしたいのかも、モヤモヤします。

プライドだけはいっちょ前にあります。それで仕事にも支障がでます。

レールからは外れてしまった人生です。

世間的には障害者とされています。

ぼくは今、苦しいです。

社会不適合 -良品計画-

今日もパートに行って来たが、途中目眩がして立っていられなくなり早退してきた。

職場になんか意地の悪い男がいてそいつのことが嫌いである。今日も嫌味を言われながら、仕事してたけどなんか息苦しく目眩がしてきたのである。

大事には至らなかったけど、自分は何処でもこんな感じで仮想敵を作り、自分が苦しくなるよう考えを持っていき、結果ほんとに苦しくなって逃げ出しているような気がする。HSPとか言われてるけど、それともなんか違う気がする。何処で何をしてもだめなような気がしている。前職では15年近く務め役職もあったが、それは長い軽躁状態が作り上げた地位や場所であり、落ちると今日のような感じになる。環境は普遍であり、自分でアップダウンを勝手に繰り返し、やれ鬱だのなんだのと言っている。

最近2ちゃんねる創業者のひろゆきさんのYoutubeをよくみているが、抗えないものに抗わず、自分なりのスタイルで行けば良いじゃん的な発言をよく見る。それもそうだと思う。誰もが同じでないし、同じことができるとは限らない。健常な人でもそうだろうし、病気があればそれは顕著なのかも納得できる。

社会不適合って不良品みたいな名前だけど、不良品って捨てられるわけではない。良品化することもあるし、適合レベルを下げたグレードで良品になることもある。

つまり、この場所やここでは良品ではないけれど、別の場所やフィールドでは適合品になれるかもしれないのである。

その場所を見つけることや、飛び出す気持ちがあれば、良品になれる。かも。と思ったりした。

不適合者であると自認しながら生きるのは苦しい。やはり、何かを掴まねばならない。いや掴まなくても良い、心地よいフィールドに立ちたい。

そのための模索は今更だがまだするつもり。自分が現在、不適合者であることを自認しただけでも前進していることとしよう。

潜伏期間 2年間

久しぶりのブログだぁー。潜伏していました。このブログはChromebook ideapad duetで書いています。

潜伏期間色々ありました。先ず仕事を辞めました。サラリーマンを辞めた。40歳を過ぎ脂の乗り切ったところで、精神疾患によりリタイアしました。病名、双極性障害

うつ期間に社内での尋問により、退職の一言を言ってしまいそのまま退職へとなってしまった。これが2019年4月のこと。辞めたことににより軽躁モードになりました。この勢いで少し興味のあった福祉関係の専門学校に入ります。

あ~ほんとに好きなことなんだろうか…と思いながら学習を進めました。実習とかもあったりして障害者としては、結構ハードでした。

その後、この福祉関係の国家試験をうけますが、あえなく撃沈。

体調は正直言って一進一退であります。今は短時間のパートをして、お金というより生活リズムを整えるために就労しています。ちなみに障害者雇用です。

人生って難しいよね。まさかこんなになるとは思わなかったけど、危うさは幼いことから持っていたと思います。幼いことから何かに怯えて生きていたし、集中すべきことがわからなかったり、感覚が麻痺したような振る舞いをしてしまう。

病気のせいにしてしまえばそれまでだけど、抗いがたい自分もいてなんかつらいです。

今の仕事もなんやかんや悩みながらやっています。あの人の言葉遣いや態度、全部自分が悪いんじゃないかって頭の中がグルグルしています。

それでタイトルの潜伏期間なんですが、体調はサラリーマン時代よりは幾分良くなったと思っています。プレッシャーがなくなった分、気分の凹凸が減ったような気がします。でも仕事って課長だろうが主任だろうが、パートだろうがやっぱり気分が浮き沈みしますね。どのような立場でもそれなりに悩みはあるし、気分に対してネガティブな感情が起こりやすいです。

これからは国家試験のリベンジをしながら、なんとかパートを続けて行きたいと思います。

最終的に自分が何したいのか40歳半ばでもわかっていません。いま何者でもない自分がいることは認識しています。

時間は残酷に流れて行くけど、何者かになりたくて資格は取りたいと思っています。でもその資格を生かした仕事をするかわかりません。俺バカだからこんなアベコベなこと考えています。

人生何が起きるかわからないって思ってなんかブログを書いて見ました。誰もみてないけど、なんか転機にならないかなって思っています。

社会保障について

 社会扶助は保険料の負担がなくともサービス・金銭が提供され、個別のニーズに応じた給付が受領できる。
公的扶助とは生活保護制度が該当する。収入や資産などを活用しても最低生活を維持できない者に健康で文化的な最低限度の生活を保障する。給付決定には資力調査がある。
社会手当とは児童手当、児童扶養手当等が該当する。一定給付条件に基付き現金給付がされる制度である。
児童手当は子育て家庭への生活安定に寄与し、児童の健やかな成長を助長することが目的である。
児童扶養手当ひとり親家庭の生活安定と自立の促進に寄与するための制度である。
社会福祉とは児童福祉、障害者福祉、老人福祉、母子父子寡婦福祉が該当する。
児童福祉は全ての児童の健全育成実現を目的とし、保育所提供等が代表的サービスである。
障害者福祉は障害者総合支援法を元に対象者の日常生活及び社会生活を総合的に支援する。代表例は自立医療費支援等である。
老人福祉は老人福祉法に基づき老人福祉施設の充実等を行う。
母子父子寡婦福祉は日常生活支援や母子父子寡婦福祉資金貸付金制度等で20歳未満の児童を扶養している配偶者のない女子・男子、寡婦等に貸し付けを受けられる制度などがある。


 障害者福祉は障害者福祉法を軸に自立及び社会参加支援等の総合的なサポート体制を意味している。
課題解消の為、障害者自立支援法や障害者総合支援法と少しずつ継続的に課題を解消する措置が取られてきた。
これらは障害者に対して利用しやすい状況が2000年以降の改変、検討が継続しており障害者には良い状況になりつつあると考える。
現状自立支援給付と地域生活支援事業が大枠であるが、支援享受には未だハードルがまだ高いと考える。
例えば困窮者が市町村の福祉窓口を訪れないとサービス享受機会がないのではないか。
財源との兼ね合いもあるが間口を広げ、更に利用しやすい状況にして、対応者も今後更に増やし障害者をサポートできる制度を望む。

 

 

社会保障 第6版

社会保障 第6版

  • 発売日: 2019/01/23
  • メディア: 単行本
 
はじめての社会保障 -- 福祉を学ぶ人へ 第17版 (有斐閣アルマ > Basic)